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記事: Blog2 Post

「ゴールドラッシュの猫」

 ――今彼の隣で死んだ男は、ドラゴンの鱗を売っ払った金で妹を医者に見せるつもりだった。

「走れ!」

 誰かの声が聞こえてすぐさま我に返って、俺は無我夢中で足を動かす。

 ドラゴンは恐ろしい。その体は陸の生物の内で何よりも巨大。翼は強風を巻き起こして小さな街を半壊させる。鉤爪は岩をも切り裂く。その咆哮は脳を揺らす。何より恐ろしいのは「息吹」と呼ばれる魔術で、視界にある全ての生物に火をつけることが出来る。表皮ならば消火すればまだ助かる可能性が残されているが、臓器に火をつけられればおしまいだ。死ぬ。運が良ければ高火力で一気に灰になれるが、運が悪いとじりじりと焼かれる。体全体がほんのりと赤みを帯びて、口からも火を吹くので、見ていて面白くて綺麗なのは後者だったりする。

 そんな生物が非常に温厚であり、住処が人の住まわぬ山奥で、食べるモノも山に漂う精である、というのは人にとって非常な幸運だった。

 しかし、ドラゴンは金になった。

 金になる、ただそれだけで、人はドラゴンに挑む。


 ――今彼の隣で死んだ男は、ドラゴンの鱗を売っ払った金で娼館にいる幼馴染を買うつもりだった。

 周囲を走る人々に押し潰されかかっていた俺は、人がいなくなったおかげで空いた隙間に足を踏み入れて、さらに前を走っていた男の肩をつかんで引いた勢いで、少し前に出た。

 街へ辿り着くために。

 ドラゴンは金になる。金になるモノには人が群がる。群がる人々は生活するため街を作った。

 街は生活を賄うだけでなく、人々を守る役割も果たしている。街には魔術による障壁が常時展開されている。また、街のあちこちにドラゴンの知覚から逃れるためのシェルターも存在している。シェルターに逃げ込むことが望ましくはあるものの、障壁の内側にまで逃げることが出来れば、ほぼ安全は約束されたも同然だ。だから人々は街へ向かって走る。

 街へ到るルートは大きく二つに分かれる。整備されている道と、整備されていない道。整備されている道は、ドラゴンにとっても人間の姿を見つけやすい道である。だから街へ辿り着くまでの生存確率を上げたいのならば、整備されていない道を行く――というのが慣れた採麟師の間では常識である。

 俺は整備されていない道へ行くため、人の群れをかき分けて走る。


 ――今彼の隣で死んだ女は、ドラゴンの鱗を売っ払った金で禁術の研究をするつもりだった。

 俺は中々人混みから抜け出すことが出来ないでいた。どうもこのところ見かけない顔が多いように感じていたことを思い出す。素人採麟師が増えていたのだろう。素人はまだ逃げ方のセオリーを知らないため、中々整備されている道から外れようとしない。

 周囲にいる人間を押しのけ前に進む度、一人、また一人と死んでいく。

 採麟師が増えるのは、新たなドラゴンの住処が見つかった時と、社会情勢が悪くなった時だ。このドラゴンは見つかってから二十年経っているから、今回の増加は後者だ。

 生まれて此の方山の下の社会を見たことはないし、知らないし、普段は意識もしていないが、たまにこうして体感する。

 やっと人混みを抜けて山に入った。少し駆け登れば獣道めいた細道が見つかる。あの人混みの中で落とした物や怪我などはないか確認し、駆け出した。足場は悪いが、子供の頃からよく使う道だったから、転ぶような無様はしない。

 しばらく走っていると細道の先に、見たことのある背中が見えてきた。声をかけると彼は速度を落とした。俺が並び立つと横目に見て、明るい笑みを浮かべる。

「よぉ!」

 同じく採麟師をしている幼馴染だった。子供の頃から共にこの道を作ってきた大親友でもあった。俺は軽く笑い返して幼馴染の肩を小突き、すぐに山道をひた走る。


 ――今彼の隣で死んだ男は、ドラゴンの鱗を売っ払った金で幼馴染と共に街を出るつもりだった。

 しかし、気にする余裕などはない。ドラゴンが起こした風によって吹き飛ばされるのを耐えるので俺は必死だった。幸いにも幼馴染を殺した倒木がすぐ隣にあったので、倒木にしがみついた。吹き飛ばされてきた葉や樹皮が体中を叩いていく。山の下からは悲鳴が聞こえた。風は直接的には人を殺さないが、あの人混みだったから、将棋倒しになって何人か死んだだろう。

 風が収まってから、倒木の下敷きになった幼馴染の手を握る。まだ温かかったが、握り返してくることはない。

 倒木をどかすのには時間がかかりそうだったし、どかせたとしても死体は重い。再び風が来ることや鉤爪が来る可能性を思えば、街までは運べそうにない。死んでからはもう死なないのだから死体はあとで取りに来ようと即断して、俺は再び山道を走り出した。

 街が見えて来た。生まれ育った街である。

 あの街に生まれた人間は、採麟師の死亡率をよく知っているし、金を得たところでこんな山奥では大した使い所もないし、社会情勢の余波を食らうこともないので、採麟師には滅多にならない。

 そんな中、幼馴染は変わり者だった。幼馴染の夢は街を出て、山の下を見て回ることだった。

(皆、よくやるよなぁ。そんなに山の下には良いモノが売ってんのかな?)

 幼い頃、幼馴染はドラゴンの所へ向かう採麟師たちの列を眺めながら言った。

(良いなー。山の下に行ってみたいな、一回くらい)

 その声は素朴な憧れに満ちていた。

(なぁ、お前もそう思わない?)

 俺は別に街を出たいと思ったことはなかったけれど、幼馴染のことは好きだった。だから幼馴染の言葉にうなずいて、資金を貯めるために一緒に採麟師を始めた。金を貯めるだけでなく、採麟師たちが何故危険を冒してまでドラゴンの鱗を追い求めるのかを知りたくて。

 続けていく内に採麟師たちが必ずしも「良いモノを買う」ために金を欲しがっているとは限らないことを知ったが、それでも二人は、二人で山の下へ行くための金を貯め続けた。


 俺は、ドラゴンの鱗を売っ払った金で幼馴染の夢を叶えるつもりだった。

 ただ一人街に着く。背後からドラゴンの咆哮が聞こえる。

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