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記事: Blog2 Post

「失われた始まりのレジスタンス」

 十年前、打ち捨てられたガレージに右腕の欠けた子供が辿り着いた。

 その子供はそのガレージを根城にして、他の多くと同じように生きるために必要だと思われたことを全てやった。隻腕ではあったものの、その子供には生来の利発さと武術の心得があったため、己に降りかかる火の粉を払い、食い物にしようと近づく者を逆に食い、巧みに生きた。

 その子供には、隻腕以外にもう一つ、他と違うところがあった。

 子供は字を集めていた。上層街で廃棄された本、新聞、書類、広告、成分表、包装紙、看板。一文字でも字が書かれていて、それを必要とする人間がいなければ、一つ残らず手元に引き寄せた。

 ある日、薬指の欠けた子供が、何のためにそんな物を集めるのかと問いかけた。隻腕の子供は答えた。

「ただ生きるだけでは何も変わらないからだ。この世界を変えるには、生きるのに必要のないことをこそ、やらねばならない」

 薬指の欠けた子供は隻腕の子供の言うことを面白がって、隻腕の子供の根城であるガレージに出入りするようになった。


 薬指の欠けた子供と隻腕の子供のやり取りを、背中に大きな火傷の痕がある子供が偶然に近くで聞いていた。

 背中に火傷のある子供は宿舎に戻ると、幼馴染である左目の潰れた子供に、その言葉を伝えた。幼馴染の趣味は星を見ることだった。今よりももっと幼い頃から毎夜時を忘れる程に夢中で星を見ていたが、ある日星を見たって何の役にも立たないと大人に左目を潰された。けれど、子供は左目を潰された後も星を見て、未だに馬鹿にされたり怒られてばかりいた。馬鹿にされて泣き出しそうになる友人を見る度に、背中に火傷のある子供は胸が張り裂けそうな思いを味わっていた。

「あいつなら、お前の話を馬鹿にせず聞いてくれるかも知れない。字が読めるってことは頭も良いだろうし、もしかしたら俺たちの知らない星の名前を知っているかも知れないぞ」

 隻腕の子供は星の名前どころか目当ての星の見つけ方や星にまつわる伝説まで知っていて、左目を潰された子供を大層喜ばせた。喜ぶ友人を見て、背中に火傷のある子供も喜んだ。

 そうしてこの二人は生

まれ育った宿舎と親を捨てて、ガレージに住むようになった。


 宿舎から逃げ出した二人を監督する役目にあった、二人よりも一つだけ年上の子供は、罰として右耳を切り落とされた。

 ろくな手当てもされずに高熱を出したが、それでも右耳を失った子供は二人の分まで働かなければ左耳も切り落とすと脅されて、連日働かされた。彼は逃げ出した二人を心底恨み、復讐のためにねぐらを抜け出した。熱と痛みで朦朧としながらも聞き込みをして、彼は二人がガレージに住んでいるという事実をとうとう突き止めた。しかし、宿舎を抜け出しガレージに辿り着くまでに倒れた。

 彼が倒れたのは、とある店の前だった。

 その店はずっと前に潰れていたが、店を経営していた二人の一人息子が、店の再建を夢見ながら住み続けていた。

 このまま店の前で死なれても困ると、一人息子は右耳のない子供を仕方なしに看病をした。何とか死を免れてから数日経ったある夜、右耳のない子供はうわ言で「ガレージ」と言った。その場所に引き取り手がいるのかと考えた一人息子は、まだ意識が朦朧としていた子供を連れてガレージを訪れて、隻腕の子供と出会った。


 そうやって、ガレージには「生きる」以外に願いを持った子供が、一人、また一人と増えていった。

 彼らはいつしか「ガレージキッズ」と呼ばれるようになった。


「ガラ・リトスが封鎖されました」

 巡回から帰ってきたマネーが告げた瞬間、ガレージは重苦しい空気に包まれた。

 「マジか……」と嘆く者、無言で天を仰ぐ者、顔をしかめる者、無反応な者。様々な反応をするガレージキッズを見渡したマネーは、軽く手を打って注目を集める。

「残るリトスはヴロヒ・リトスのみ。二つでもギリギリでしたが、一つでは完全に足りない。しばらくは備蓄で食いつなぐとしても……。住民たちは無論のこと、宿舎もホテルもその日をやり過ごすのに精一杯で、備蓄を消費し尽くした後の見通しは立っていないでしょう。……すなわち」

「この地区は堕ちるってこと」

 終わりの言葉を引き取ったのはマネーと組んで巡回に出ていたチーク。声の調子も表情も軽いが、その言葉は辛辣にガレージキッズを刺す。

「何でそんなに嘆いてるの? いつかはこうなるって分かってたよね、皆。ランビリズマ・リトスが十年前、六年前にアエラス・リトス。いつ、次が来たっておかしくなかった。……むしろ六年は結構保った方?」

「チーク」

「……何、バック?」

 にらまれたバックは苦笑いしながら、「そんな風に言うなよ」とチークをたしなめた。

「来ると分かっていても、ショックなもんはショックだろ。とうとうこの生活が変わっちまうんだし」

「……ノウテンキ過ぎるんじゃない? てか、バックも覚悟しとけって言ってたじゃん」

「覚悟ってのは、ショックを受けながらもすぐに動けるようにしておくことだよ。俺はショックを受けること自体を否定はしてないぞ」

 再度マネーは手を叩いた。

「はい、バックが良いことを言いました。我々――ガレージキッズは下層街京地区で起こり得る問題を想定し、様々に対策を打ってきました。中でも影響が大きく、また回避が不可能な大問題だったのがこのリトス封鎖問題。京地区に留まらず下層街全体を揺るがすこの問題には対症療法的な対策しかなく、画期的と言えるような解決方法は見つかっていません。……そして、解決方法が見つからないまま、ついにこの日を迎えました。この日が来ることは、チークの言うように皆さん、覚悟はしていたと思います」

 この先を言うのはマネーでも勇気が必要だった。息を吸って、吐く。

「それでは、以前から話し合っていた通りに、我々は……」

「長ぇよ、口上が」

 笑みを浮かべたミミが言葉を遮って、馴れ馴れしくマネーの肩を叩いた。

「要はアレだ。とうとう戦争だ。そうだろう?」

「……」

 マネーは鬱陶しそうに肩に置かれた手を払い、物憂げにため息を吐く。

「……そういうことです。要は、が早すぎますが」

「いいよそんなもん、今更ていねいに説明しなくても。皆で散々話したじゃねえか。分かってねぇ奴なんていねぇよ。……ま、まだ賛成してねぇ奴は、いるにはいるが」

 ミミはウンザリした目でガレージの隅に目を向けた。視線の先にはヒダリメとミギメがドラム缶の上に座っている。視線を受けた二人は涼しい顔でミミを見返して、先にミギメの方が口を開く。

「言うのは簡単行うのは難し。リスクが高すぎるんだよなぁ! どの地区も曲者揃い、ちょっと攻め入ったからって「はい降参ですリトスはお譲りしますお助け~」って言う訳ねぇし! 自分も相手も消耗して横からトンビに油揚げってことも考えられるしな。手っ取り早い解決方法だってのは認めるけど、手っ取り早いだけあってハイリスク。自信のあるお前さんにゃ勝機が見えてるのかも知れないが、自信のねぇ俺らにゃ夢想としか思えねぇ。分の悪い賭けだ」

「うん……。住民への被害も、気になるし……。ね、バック」

「あぁ、それに戦略ももっと詰める必要がある。方向性としては戦争っていうので俺も合意はしているが、まだ考えるべきことはたくさんあるよ」

「てか、ミミはただ単に戦争がしたいってだけでしょ。ノウナシの兵士が偉そうに出しゃばって来るんじゃなーいよッ」

 言葉と共にチークがミミの足を軽く蹴飛ばした。

「痛ってぇな!」

 ミミにまとわりつかれていたマネーは傍らで起きる小競り合いに、冷めた目を向ける。

「チーク、その言い分は兵士組全体を敵に回します。今は全員が一丸となって事に当たらねばならない時です。ミミもそうですが、無闇に不仲の種をまかないように」

「不仲ァ? くッだらねぇ。そもそも、ここにいンのは仲良しでも仲間でも――」

「うるせぇ」

 ミミの言葉を遮って声を上げたのは、ガレージの中にいる人物ではなかった。ガレージの入り口、マネーたちの背後に、猫背でいてもなおひょろりと縦に長いシルエット。

 背中にリュックを背負ったクスリユビが立っていた。

「うるせぇよ、お前ら……。声が外にまで聞こえる」

 クスリユビは自身に集まる視線を意に介さず、ガレージの奥まで入るとリュックを下ろしてチャックを開ける。中に入っているのは大量の紙――より正確に言えば、文字。ガレージの「本棚」と呼ばれる区画でリュックを引っ繰り返し、下層でかき集めてきた文字をバサリと落とす。

「……っと」

 ヒダリメが駆け寄って来ると、落とされた文字を拾い上げて確認し、分類していく。

 ヒダリメの頭をちょっと撫でたクスリユビは、振り返って、あらためてガレージを見渡した。その目が何を思っているのか、新参はおろか古参にも分からない。

「いつの間にか随分と人が増えたねぇ」

 一人一人指をさしていく。指さされた人間はたじろいだりにらみ返したりするが、誰一人として口を開くことは出来ない。

「俺ァ何でもいいんだけどさ。お前らが王と仰ぐ愚か馬鹿が何か言いたげにしてるから、聞いてやんなよ」

 そう言ってクスリユビが最後に指差した先。ガレージの奥にある旧時代の車、その後部座席のドアが開いていた。皆が息を呑む中、男は静かに後部座席から出て来た。

 男は隻腕。もう片手には本。

 ガレージの最初の子供。

 視線を受けたミギウデは、薄く笑った。

「ご苦労」

「全くこき使ってくれちゃってよぉ」

 再びリュックを背負ったクスリユビは、ふらりと外に出て行った。

 うって変わって鋭い雰囲気を持って、ミギウデはガレージを睥睨する。

「ガレージキッズなど他人のつけた名。ここにあるのは、ただ一つの願いを胸に抱いているだけの個人の集いだ。気が合わぬのは仕方がない。だが」

 厳しく、一人一人を見据える。

「その願いを叶えるまでは協力関係でいろ。己の願いを叶えるまででいい」

 彼は空間全てを飲み込むような凄艶な笑みを浮かべた。

「極点に辿り着いた時には、思うがままに動け」


 「生きる」以外の願いを持った子供たちは、いよいよ願いを叶えるための戦いへと躍り出る。

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